★この記事で分かること★
- 阪神タイガース暗黒時代の思い出話
- 阪神暗黒時代に活躍した選手たち
- 阪神暗黒時代はなぜ訪れたのか
皆さん、こんにちは!けんた@ロスジェネ青春マガジン(@lost_gene_mag)です!
2023年の阪神タイガースは、知将・岡田監督に率いられ、9月14日、ついに18年ぶりの「優勝」を勝ち取るに至りました。
この18年の間、「戦力は揃っているんだけど、あと一息勝ちきれない…」というチームだった阪神タイガースを優勝に導いた岡田監督の戦略には、つくづく、頭が下がります。
しかし、私たちロスジェネ世代は、はっきりと覚えています。
そう、
「自分たちの少年期、阪神は暗黒時代を過ごしていた」
ことを。
本日は、阪神タイガース暗黒時代にめいっぱいの声援を送り、後にスポーツライターとして活動した経験のある私が、阪神タイガースの暗黒時代について、お話しさせていただこうと思います。
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阪神タイガースの暗黒時代はいつ?
1985年、阪神タイガースは日本一になり、関西に明るい話題をもたらしました。
しかしその後、阪神タイガースは長きにわたる低迷期に入ります。
この「低迷期」のことを阪神タイガース暗黒時代と呼びますが、具体的な定義については、実は諸説あります。
【暗黒時代の定義①】1987年〜2001年
暗黒時代を広義にとらえる場合、「15シーズンのうち、10回のリーグ最下位と14回のBクラス入り」に終わった1987年〜2001年の間をとらえるのが一般的です。
Wikipediaにおける「暗黒時代」の項目では、この「広義の暗黒時代」を採用しています。
【暗黒時代の定義②】1995年〜2001年
一方、「暗黒時代」を、より狭義にとらえる考え方もあります。
というのも、先ほど述べた広義の「暗黒時代の定義①」の期間中には、
- 1992年:2位
- 1993年:4位
- 1994年:4位
と、まずまずの成績を残した年もあるためです。
とりわけ1992年は、終盤までヤクルトと首位争いを演じ、一時は優勝の可能性すら感じさせてくれたほどでしたので、「この時期を暗黒時代に含めるべきではない」との考え方に立つ勢力も存在します。
また、1993〜94年も、Bクラスながら絶望的な弱さを感じるには至りませんでした。
このため、狭義の「暗黒時代」の定義として、「6年の間に最下位5回、5位1回」という極端な低迷期であった「1995年〜2001年」に絞るべき、との考え方もあるのです。
なお、
で、お話ししていこうと思います。
阪神暗黒時代のスタメン
さて、そんな阪神暗黒時代のスタメンについて。
もちろん、年によって、また状況によって、ラインナップは異なるわけですが、一般的には、次のメンバーを想像する人が多いのではないでしょうか。
1番:セカンド・和田
阪神の暗黒時代を支えた1番バッターといえば、なんといっても和田以外考えられません。渋いバッティングでヒットを生み出す、阪神タイガースの切り込み隊長です。
また、セカンドの守備にも定評があり、現阪神監督の岡田がファーストにコンバートされるきっかけを作ったことでも知られています。
その後、コーチや監督などを経て、2023年は2軍監督を務めています。
2番:ショート・久慈
こちらも阪神タイガースの暗黒期を支えた、ショート・久慈。
俊足と堅守が売りの選手でしたが、実は1997年オフに、「久慈・関川⇔大豊・矢野」の大型トレードがあったため、暗黒時代の後半には阪神タイガースを離れています。
ただ、「和田・久慈の二遊間」を暗黒期の思い出として挙げる人も多いことから、今回はここでご紹介をさせていただいた次第です。
なお、久慈がトレードで出た後は、ショートに今岡が入ることが多かったですが、今岡は後に暗黒時代を脱却した際の打点王として知られるようになるので、あまり暗黒時代の選手というイメージはありませんね。
3番:センター・新庄
阪神暗黒時代のスター選手と言えば、やはり新庄剛志は外せません。
そのたぐいまれなる運動能力、バッティングセンス、そして何よりスター性。地味な選手が多かった阪神暗黒時代にあって、数少ない「華のある」選手でした。
とりわけ、野村監督時代に、ピッチャーにチャレンジしたことは、「型にはまらない選手」の象徴として、賛否両論を巻き起こしつつも、大きな話題を呼んだものです。
ただし、華のある選手であったゆえ、何かあるとファンに叩かれることも多く、応援団が応援をボイコットしたり、突然の引退宣言をしたりと、いろいろあったもんでした。
4番:ファースト・大豊
先述の久慈と入れ替わる形で阪神タイガースにやってきた、中日の主砲・大豊泰昭。
尊敬する王貞治氏をイメージさせる一本足打法でのホームランは、長きにわたって長打力不足が指摘され続けてきた阪神タイガースにとって、まさに期待の星でした。
しかし一方で三振や好機の凡打も多く、多くの阪神ファンが期待したほどの成績ではなかったこと、また暗黒時代終盤、野村監督との相性の悪さを指摘する声も多かったことなどから、妙に過小評価されている印象のある選手でした。
5番:レフト・外国人
阪神暗黒時代、このレフトには外国人が当たることが多かったです。
とりわけ印象的だったのは、中日から移籍してきたパウエル。暗黒時代の阪神は、「他球団で昔活躍した外国人」を獲得するものの、とっくにピークが過ぎていて、期待されたような成績を残せず退団、というパターンがほとんどでした。
6番:ライト・桧山
桧山といえば、「代打の神様」のイメージで見る人も多いと思いますが、もともとはライトを守るスタメンの外野手でした。
新庄と並んで、華のある選手ではありましたが、スタメン時代は割と三振も多く、ここ一番で決めきれないイメージもありました。
一方で、八木引退後、「代打の神様」となって以降は、そのときの勝負強さがウソのような、圧倒的な存在感を示していたのは、皆さんご存じのとおりです。
7番:サード・外国人
このサードも、外国人が就くことの多かったポジションです。
暗黒時代のサードを守った外国人で思い出深いのは、やはり1995年、圧倒的な最下位に沈む中、なんとか22本塁打を放って存在感をアピールしたクールボーですね。
また、1997年に獲得した元中日のコールズも、サードを守っていました。
8番:キャッチャー・山田
阪神暗黒期を象徴するキャッチャーといえば、やはりこの山田勝彦です。
手堅いリードと、キャリア後半に覚醒した打撃を武器に、阪神の正捕手争いにおいて、中日から移籍した矢野にとって代わられるまで、長きにわたって一番手に君臨していたキャッチャーです。
また、その指導力にも定評があり、阪神コーチとして、あの梅野隆太郎を育てたことでも知られています。
9番:ピッチャー・藪
阪神暗黒期のエースと言えば、やはり藪恵壹です。
1994年に新人王を獲得し、これ以降も安定したピッチングを続けるのですが、いかんせん打線の援護に恵まれず、なかなか勝利数の伸びない、不遇のピッチャーでした。
特に1995年、防御率2点台(2.98)でありながら、リーグ最多の13敗を喫してしまうその成績は、未だにご本人がテレビ解説などで登場した際の自虐ネタとして用いられています。
中継ぎ投手・弓長
阪神タイガースは、暗黒時代にあっても比較的投手には恵まれていましたが、なかなか点がとれないため、割とすぐにピッチャーに代打が出され、中継ぎピッチャーの出番は多かったです。
そんな中継ぎ投手として真っ先に頭に浮かぶのが、弓長。
背番号14をまとい、試合の中盤をしっかり作ってくれる、隠れた名投手でした。
とりわけ、1998年には、57試合に登板して防御率1.69と、抜群の安定感を誇ります。
のイメージは、2023年だと岩貞、それ以前だと能見を思い浮かべる人が多いですが、暗黒時代を知る人は、やはり弓長を真っ先に思い浮かべることでしょう。
リリーフエース・田村
暗黒時代における阪神タイガースのリリーフエースといえば、何人かが思い浮かびますが、一番印象的だったのは、広義の暗黒時代において、唯一Aクラスに入った1992年のリリーフエースだった、田村勤。
左サイドハンドから繰り出す、勢いのあるストレートは脅威でしたが、その後故障し、まるで田村の故障と歩調を合わせたかのように、阪神はより深い暗黒時代へと入っていきます。
そんな田村でしたが、1996年に復活。1997年にかけて、左のリリーフとして、再びあのときのような輝きを発揮するのでした。
ちなみに、そんな田村勤は、故障に悩んだ自分の経験を活かし、引退後は兵庫県西宮市で整骨院を開いておられます。
阪神暗黒時代のエピソード
さて、阪神暗黒時代においては、そのあまりにもふがいない成績ゆえに、今では考えられないようなさまざまなエピソードがありました。
そして、それらの中には、今なお「伝説」として語り継がれるものもあります。
2年連続監督が途中交代事件
「狭義の暗黒時代」初年度である1995年、阪神タイガースの監督は、ここまで何とか一定の成績を残してきた中村勝広でした。
しかし、開幕5連敗を喫し、その後も8連敗を喫する時期があるなど、チームの状況はかつてないほど悪くなり、中村監督はシーズン途中で休養。当時二軍監督であった藤田平が監督代行として指揮を執りました。
そして迎えた1996年。藤田平は正式に監督に就任しますが、この年も成績は散々。シーズン途中の9月に、監督を解任されてしまいます。その後は柴田猛コーチが監督代行を務め、翌年の吉田義男監督にバトンタッチ。
この「2年連続で監督がシーズン途中にいなくなる」という状況。
当時阪神ファンをやっていて、「ホントにこの球団を応援していて、大丈夫なのか?」と不安になったものでした…。
新庄の「ホームラン」、旗で叩き落とし事件
1995年、横浜球場で行われた阪神−横浜線。
この日は、1点ビハインドの9回、打席には新庄。マウンドにはあの大魔神・佐々木が君臨していました。
しかし新庄は、この佐々木から、レフトスタンドへ大飛球を打ち上げます。
その弾道は、どう見てもホームランを確信させるもの…
…だったのですが、この打球を、なんとレフトスタンドの応援団が旗で叩き落としてしまいます。
これが「スタンドイン前」と判定され、新庄のホームランは、エンタイトルツーベース扱いに。
せっかくのホームランが、なんとファンの手によって幻にされてしまったのです。
怒った阪神ファンは、スタンドへゴミを投げ入れ、さらに阪神ファンがグラウンドに乱入。これらにより、試合が8分間、中断したのでした。
阪神暗黒時代はなぜ訪れたのか
さて、この阪神暗黒時代、なぜ訪れてしまったのでしょうか。
明確にその理由が整理されたものはありませんが、その原因には、いくつかの説があります。
投手偏重のドラフト戦略・育成戦略説
この頃の阪神は、ドラフトで投手を中心に指名する傾向にありました。
特に、1992年〜1995年は、連続してドラフト1位が投手という時期もあったほど。
こうした投手中心の選手獲得・育成戦略により、阪神タイガースは暗黒時代にあっても、比較的投手陣はよく踏ん張れていました。
一方で、野手陣については、新庄・亀山・桧山以降はなかなか若手が育たず、そのことが得点力不足を招いてしまうことに繋がります。
なお、暗黒時代末期には、今岡や坪井、赤星などの登場により、少しずつ打線が強化されていき、2003年の優勝の布石が打たれていきます。
助っ人外国人に恵まれない説
先述のように、なかなか生え抜きの若手野手が育ってこない状況でしたので、得点力を上げるには、どうしても助っ人外国人に頼らざるを得ませんでした。
しかしながら、この暗黒時代、お世辞にも助っ人外国人に恵まれたとは言いがたい状況です。
1994年オフ、数少ない活躍選手だったオマリーを放出してしまいますが、このオマリーは、放出後にヤクルトで大活躍。1995年ヤクルト日本一の主力となるのです。
一方、その後に獲得するグレンやクールボーは確実性に難あり、それ以降は他球団の「お下がり」をもらうものの機能しなかったり、そもそも全く期待外れだったりと、本当に外国人の獲得には苦労していました。
まとめ
2023年、ついに優勝に導かれた阪神タイガース。
しかし、私たち世代は、ここまで見てきたような、つらい「暗黒時代」の経験が、強く強く、すり込まれています。
なので、好調な阪神を見ていても、ついどこかで「何か変なことが起こって、一気に負け出すのではないか」と、ビクビクしてしまうのです。
阪神暗黒時代は、私たちロスジェネ世代にとっては、それだけインパクトの強い時代でした。
とはいえ、阪神暗黒時代は、既に終えてから20年以上が経過しています。もはや、必要以上に過去におびえる必要は、ないのかもしれません。
でも、一方でこの「阪神暗黒時代」から学べることは、たくさんあるようにも思います。
そんな過去の苦い経験を懐かしみ、そしてそこからの学びを得つつ、今年の阪神タイガース、応援していきたいと思います!
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